kao-kao日記

優しい時間と笑顔の輪が広がりますように…。

「だっちゃ」の話

 
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 先日、美容室へ行ったときに担当してくれたスタイリストさんが2年間仙台に住んでいたそうで、方言の話で盛り上がりました。

 宮城には「いずい」という方言があるのだけれど、目がゴロゴロするようなときにも使うし、着心地や居心地なんかがあまり良くないときにも使います。「便利な言葉ですよね~」とスタイリストさん。まさか「いずい」が通じる方にお会いできるなんて。何十年ぶりだろう。思わず嬉しくなっちゃいました。

 それから、「だっちゃ」の話。このブログで何度か書かせていただいている「だっちゃ」は、「だよね」というような意味の言葉に置き換えられます。よく、ラムちゃんみたいだね~と言われることがあるけれど、年齢に関係なく男性も普通に使う言葉なので、宮城の人は可愛いと思って使っているわけではないと思われます。というより、向こうにいた頃はそれが可愛いだとかラムちゃんに似ているだとかは全く思ったことがなかったような気がします。

 

f:id:kao-kao-n:20180405163106j:image(あっという間に葉桜に…)

 

 宮城を離れ、もう随分経つのだけれど、ある日kaorinはそれまで使っていた方言を使わなくなっていたことに気がつきました。まわりは誰も宮城の方言を話す人はいないんです。でも、慣れ親しんだ言葉を使わなくなるのは何だか寂しいなぁって最近思うようになりました。だからせめて家の中では封印していた「だっちゃ」を使うことにしようかなと。

 

「お腹すいだっちゃ?」

・・・お腹すいたよね?

「メール読んだっちゃ?」

・・・メール読んだかな?

「疲れだっちゃ?」

・・・疲れたよね。

「もう、食べられないっちゃ。」

・・・もう、食べられないよ。(よね)

「いっぱい呑んだんだっちゃ?」

・・・いっぱい呑んだんでしょ?

 

こんな感じ。

 あ、ほらラムちゃんではない気がしてきませんか?活字で見るのと実際に話しているのを聞くのとでは、きっとまた違うのかもしれませんね。

 そう言えばこの間、家で踊っていたら一滴も呑んでいないのに「ワイン呑んだ?」って、酔っぱらいと勘違いされました。ワインは大好きだけど、呑まなくても変なテンションになれるkaorinです。ちなみに家族は「だっちゃ」を使いません。

 

f:id:kao-kao-n:20180405184412j:image(今日は高校の入学式でした。晴れて良かった♪)

それではまた。

*kaorin*

 

人は2度生きる~幸せの種をまこう~

 
f:id:kao-kao-n:20180404082921j:image多肉植物の花が咲きそう…)

 

 ヒロノリくんは、笑うと目がなくなるような笑顔が印象的な男の子。背も高くて坊主頭がよく似合う、明るくて優しい子だった。

 転校してきたばかりで不安だらけだった小学1年生の時のわたしに初めて話しかけてくれたのもヒロノリくんだった。何度その笑顔に救われたかわからない。彼はクラスの人気者だった。月日は流れ、5~6年生の時も同じクラスで、みんな本当に仲が良かったんだ。

 無事に卒業式を迎え、期待に胸を膨らませながら、真新しい制服と共に、もう少しで中学校生活が始まろうとしていたあの日。信じられない現実と向き合うことになる。

 忘れもしない平成元年4月4日のこと。離任式でクラス全員が登校し、顔を会わせた。お世話になった小学校を離れるのは寂しいけれど、中学校へ行ってもみんな一緒だね。どこかでそんな安心感もあった。ところが、どういうわけかほとんど休んだことのないヒロノリくんだけが学校に来なかった。

 連絡もなく心配していたときだった。ヒロノリくんは帰らぬ人となったと聞かされる。登校途中で倒れていたらしく、事故ではなく原因はわからないという。担任の先生がそう話したときのクラスの空気を、今でも昨日のことのようによく覚えている。泣き崩れて教室を飛び出して行った子もいた。思い出すのは元気な笑顔のヒロノリくんの顔ばかり。信じられなかった。

 それから友達同士で集まり、自転車をこいでヒロノリくんの家に何度かお邪魔した。お別れのときは中学校の制服を着せてあげたという話を聞いた。胸が張り裂けそうだった。わたし達の気持ち以上に、大切な我が子を失ったご両親の悲しみはとても計り知れるものではない。

 まだ子どもだったわたし達は、難しい言葉も知らなかったし、こんな時になんて声をかけたらいいのかわからなかったけれど、ヒロノリくんのお母さんから彼の話を聞いたり、みんなでヒロノリくんの思い出話をしながら、しばらく月命日にはお墓にそっとお花を持って行ったりしたんだ。誰からともなくそうしようと決めたのは、きっとヒロノリくんの人柄があってのことだと思う。あまりにも突然すぎたお別れに、子どもながらに何かしてあげたいという思いがあったのかもしれない。

 ひとりの人間には2回の死が訪れるという有名な言葉がある。1度目は肉体的な死、2度目は人々の記憶の中から消え去り、誰からも思い出されなくなった時…。

 逆の言い方をすれば、人は2度生きるということなのかもしれない。生きているときは種まきなんだ。だから笑顔でたくさん幸せの種をまこう。…それがきっと誰かの心の中に咲く花になる。

 わたしは、滅多に行けないけれど親戚の家に行けばお仏壇にお線香をあげるし、お寺や神社にも行く。ハロウィンだって楽しむし、クリスマスにはケーキも食べる。ある意味いい加減で無宗教なのだけれど、どのご縁にも感謝しながら、いつも心の中で手を合わせている。わたしの心に咲く、色とりどりの花たちに…。

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*kaorin*

 

 

 

 

ありがとう。